清朝末期に書かれた『夜雨秋灯録(やうしゅうとうろく)』の第五巻十四話に収録されている「丐癖(かいへき)」を読んでいきます。
「今の会社、人間関係がギスギスしていて辛い……」
「受験や出世競争のレールから降りて、もっと自由に生きたい」
そんな思いを抱えている方に、ぜひ読んでほしい物語があります。今回ご紹介するのは、今から約150年前に書かれた、ある「限界受験生」の物語です。
これ、現代でいうところの「実家が太い限界オタクが、意識高い系コミュニティの同調圧力にブチ切れ、あえて地方で限界セミリタイア生活を始めてインフルエンサー化する」という、現代のネット界隈でも見かけるアレにそっくりなんです。
仙人のような風雅なお話かと思いきや、読み解いていくと現代のSNSで見かける「マウンティング」のような生々しい心理が見え隠れする本作。古典特有の「風狂の美学」と、現代にも通じる「逆張りオタクのリアル」を、ポップに紐解いていきましょう。
中国裏社会のギルド「丐頭(かいとう)」とは?
物語の本編に入る前に、当時の中国社会のシステムを紹介しましょう。
作中に登場する「丐頭」とは、単なる浮浪者のリーダーではありません。当時の中国において、乞食(乞丐)は立派に組織化された「裏社会の互助ギルド」でした。
縄張りを管理し、メンバーが餓死しないように統率する、いわば「警察や行政も一目置く裏の顔役」です。主人公の朱生は、ただ落ちぶれて浮浪者になったのではなく、この組織の「執行役員(トップ)」にヘッドハンティングされたのだ、という前提を持つと、話の解像度がグッと上がります。
3分でわかる「丐癖」のあらすじ
- 主人公の朱生、スペックは高いが「受験」に失敗
実家はそこそこ裕福。
地頭は悪くないのに、科挙の勉強がつまらなすぎてドロップアウト。
- なぜか「乞食の推し活」に全財産を溶かす
何を血迷ったか、街の乞食たちにひたすら奢りまくり、自分の服を脱いで着せたりする奇行を連発。
当然、親戚一同から絶縁され、財産も底をつきます。
- 念願の「乞食コミュニティ」のトップに就任!
全財産を失った朱生は、待ってましたとばかりに乞食グループに加入。
持ち前の教養と元・資産家のカリスマで、あっという間に「丐頭(ボス)」へ。
昼は物乞い、夜は仲間とストロングゼロ(的な安い酒)を痛飲して路上で寝る生活を満喫。
- 親切な富豪「綺麗な服着て、美味しいもの食べなよ」→朱生「無理、帰る」
ある日、朱生の素性を知る富豪が彼を憐れみ、邸宅に招いて「一流の暮らし」をプレゼントします。
しかし朱生は「拘束されて耐えられん!」と数日でブチ切れ。
せっかくの高級服を脱ぎ捨て、わざわざボロ布に着替えて壁を乗り越え脱走。元の乞食コミュニティへ凱旋します。
- 数年後、山の下で発見された朱生のドヤ顔
風体に磨き(?)がかかり、ますます薄汚くなった朱生。
しかしその精神は無敵のメンタル(神益自若)に達していました。
知り合いに「何が楽しくてそんな生活してるの?」と聞かれた彼は、ニヤリと笑ってこう言い放ちます。
「お前ら一般人には、この最先端のライフスタイルの良さはわからんよ」
なぜ彼は「最底辺」で無敵になれたのか?
このお話、一見すると「こじらせた変人の奇行」ですが、当時の思想的背景である道家(老荘思想)の「大隠(だいいん)」というフィルターを通すと、全く違う景色が見えてきます。
究極の「メンタル・パフォーマンス」の追求
当時の知識人層(衣冠の世)で生きることは、想像を絶するストレスでした。終わりのない受験勉強、親戚の世間体、役人になってからのドロドロした政治闘争。
朱生にとって、社会のエリート層に居続けるコスト(精神的縛り)は、富豪から提示された「鮮衣美食」の価値を遥かに上回る「赤字」だったのです。
そこで彼は、ゲームのルールそのものを変えました。
マジョリティの席替え競争からいち早く降りて、「自分が確実に無勝(無双)できるニッチなコミュニティ」へ移住したわけです。
社会的地位は最底辺ですが、精神的自由度はマックス。
これこそが、彼がドヤ顔で語った「乞食ライフの極意」です。
現代人に突き刺さる「冷徹な幸福論」
物語の最後、作者の懊儂氏(おうのうし)はこう締めくくります。
「朱生のこだわり(癖)は確かに理解しがたい。だが、立派な服を着ていながら、中身は恥も外聞もないケダモノのような世間の権力者どもに比べれば、彼のほうが遥かに一枚上手ではないだろうか?」
このオチを読んだ時、私たちは少し「生々しい嫌な感じ」を覚えるかもしれません。
なぜなら、朱生のセリフ「子非吾徒,安知吾楽(お前らには分かるまい)」には、「まだそんなコスパの悪いゲームで消耗してるの?」という、現代の逆張りインフルエンサー特有の、冷徹なマウンティングのニュアンスが含まれているからです。
しかし、それこそが本作の持つ「人間存在のリアル」です。
彼は綺麗な聖人でも、高尚な仙人でもありません。社会のシステムに馴染めず、こじらせた結果、誰も文句を言えない「無敵のポジション」を確立した、非常に実在感のある「人間」なのです。