清朝末期に書かれた『夜雨秋灯録(やうしゅうとうろく)』の第五巻十四話に収録されている「丐癖(かいへき)」を読んでいきます。
突然ですが、皆さんは「FIRE(経済的自立と早期リタイア)」に憧れたことはありますか?
若いうちに一生分の資産を築き、嫌な仕事や人間関係から解放されて、自分の好きなように生きる……。現代のビジネスパーソンやブロガーたちがこぞって目指す理想のライフスタイルですよね。一時期、「まだ東京で消耗してるの?」という煽りフレーズが流行りましたが、都会の競争から降りて自由に生きるテーマは、現代のラノベや漫画でも「スローライフ系」として大人気です。
ところが、今から150年ほど前の中国に、現代のFIRE民が裸足で逃げ出すレベルの「究極の早期リタイア」を成し遂げた男の物語がありました。
今回の主人公・花根雲(か・こんうん)が目指したゴールは、なんと「物乞い(ホームレス)」になること。
「えっ、ただの転落人生じゃないの?」と思うかもしれませんが、違います。彼は超難関の国家試験を首席で突破し、莫大な資産と5人の絶世の美女を手に入れ、家督を継ぐ5人の息子をきっちり作ったうえで、「よし、義務は果たした!」とばかりに計画通り蒸発するのです。
単なる現実逃避ではない、緻密すぎる人生設計と、歴史の故事すら踏み台にする鮮やかなドロップアウト物語を紐解いていきましょう。
お詫び
この記事は当初「実家が太い限界オタクが、意識高い系コミュニティの同調圧力にブチ切れ、あえて地方で限界セミリタイア生活を始めてインフルエンサー化する」話だ!と書いてました。
改訂版の本記事を読んでいただくとわかる通り、全然内容が違います。
どうにも原文をAIでゴニョゴニョしている際に、タイトルだけ見たAIが原文自体を捏造したらしく、このようなことになってしまいました。
「AIと読む」ならではの最悪の事故です。
世界にガセネタを発信してしまったことをお詫びします。
一応、補足すると、AI訳と原文の一致は確認しています。(今回、その原文すら間違っていた)
たまに勝手に原文の行間を補完して大げさや説明過多にされることがあるのですが、まあ意訳の範疇だろうというものはそのままリリースしています。
その点、ご理解の上でお楽しみいただければと思います。
知っておくと面白い!中国古典の「コスプレ奇人」と「科挙の裏事情」
物語に入る前に、当時の読書人がニヤリとしたであろう2つの文化的背景を押さえておきましょう。ここを知っていると、後半の展開が10倍面白くなります。
1. 歴史上の有名な「2大コスプレ奇人」
作中で主人公は、家族の前で奇妙なコスプレ遊びを始めます。その元ネタになっているのが、中国史で有名な以下の2人です。
- 老莱子(ろうらいし): 「二十四孝」に数えられる伝説の親孝行者。なんと70歳になってもド派手な「幼児の服」を着て、親の前でわざと転んで赤ちゃん泣きをしてみせ、「自分がまだ幼いと思わせて、親に老いを忘れさせた」という究極のマザコン(褒め言葉)です。
- 韓熙載(かんきさい): 五代十国時代(南唐)のエリート政治家。亡国寸前の国で宰相に任命されそうになり、「そんな損な役回りは絶対ゴメンだ!」と、わざと自堕落な生活を送って無能アピールをしました。その際、100人以上の美女を屋敷に囲い、給料をすべて彼女たちに巻き上げさせた挙げ句、自分がボロ服を着て美女たちの部屋を一軒ずつ回り、食べ物を恵んでもらう「屋敷内・物乞いプレイ(閨中乞食)」をして遊んだという伝説の変人です。
2. 科挙の「替え玉」と「暗号」
当時の中国では、官僚登用試験「科挙(かきょ)」に受かることが絶対のステータスでした。そのため、金持ちが貧乏な秀才に答案を書かせる「捉刀人(そくとうじん=代作・替え玉)」や、事前に買収した試験官と答案内の特定のフレーズで合図し合う「関節(かんせつ=賄賂の暗号)」といった不正が横行していました。
ハーレムも巨万の富も「前フリ」に過ぎない!『丐癖』のぶっ飛びあらすじ
それでは、主人公・花根雲のあまりにも鮮やかな「計画的蒸発」までの流れを見ていきましょう。
- 主人公は「乞食オタク」の貧乏天才
天台県の若き秀才・花根雲(20歳)は、イケメンで頭も切れるのに、ド貧乏な独身貴族。ある日、芝居小屋で「落ちぶれて物乞いになった貴公子」の劇を見て大感動。「天地を宿とし、日月をランプとする……物乞いこそ、諸侯よりも偉い『地上の仙人(散仙)』じゃないか!」と、斜め上の悟りを開いてしまいます。
- 替え玉受験からの「大どんでん返し」
その頃、親戚の大富豪4兄弟が相次いで亡くなり、残された4人の未亡人が「一族の中で、次の試験(郷試)に合格した者を養子にして全財産を譲る」と宣言します。
財産を狙う性悪な親戚・花根石は、貧乏な根雲を「代作屋」として雇います。ところが試験前夜、根石が遊郭に遊びに行っている隙に、買収された試験官の使いがやってきて、根石と間違えて根雲に「合格のための暗号(関節)」を渡してしまうのです!
- 棚ぼたで「首席合格&大富豪の跡取り」へ
根雲はその暗号をちゃっかり自分の答案に組み込み、見事トップ合格(解元)。依頼主の根石は不合格になります。「いや、業務上横領では!?」とツッコミたくなりますが、相手も不正をしているので文句は言えません。故郷に帰ると、4人の未亡人が大喜びで彼を迎え入れ、根雲は一瞬にして巨万の富の跡取りになります。
- 美女5人とのハーレム婚と、奇妙な「コスプレ遊び」
さらに、近所の資産家の美しい5人姉妹(璧月・香月・好月・瓊月・今月)を同時に妻に迎えるという、ラノベも真っ青のハーレム状態に。
しかし、根雲はここから一切の受験勉強をやめ、最初は老莱子のように派手な服を着て養母たちを喜ばせていたかと思えば、次第に韓熙載のように屋敷の中で妻たちを相手に「物乞いごっこ」をして遊び始めます。ついには村の祭りの舞台に自ら役者として飛び入り参加する始末。養母たちが「さらに上の試験を目指しなさい」と諭しても、「これ以上出世したら、幸せすぎて早死にしてしまいますよ」と笑ってかわします。
- 5人の息子を授かり、「借金完済」でいざ蒸発!
やがて数年のうちに、5人の妻全員が男の子を妊娠・出産します。4人の養母それぞれの家を継ぐ子4人と、自分の実の両親の家を継ぐ子1人。計5人の後継者が揃ったことを確認した根雲は、養母の誕生パーティーの席で突然こう宣言します。
「私は前の世の借金を取り立てに来て、いま返し終えました(索逋而來,逋償而去)。私の仕事は終わりです。では、さらば!」
翌朝、彼は貧乏時代に大切にとっておいたボロ服に着替え、すべての財産と美女たちを置いて、本当にホームレスとして旅立ってしまうのでした……。
故事の枠すら飛び越える!「儒者から乞食、そして仙人へ」の超絶設計
さて、現代の感覚で見ると「妻子を置いて蒸発するなんて、ただの無責任なダメ夫では?」と思ってしまいますよね。
しかし、当時の倫理観や、作者が仕掛けた「歴史引用のトリック」を紐解くと、この物語がいかに精巧に作られているかが見えてきます。
1. 儒教的ミッションの完全クリア
当時の人間にとって最大の義務は「親孝行(孝)」であり、その究極の形は「家の財産を守り、跡継ぎ(男子)を残して先祖の祭祀を絶やさないこと」でした。
花根雲は、ハイエナのような親戚から未亡人たちの資産を守り抜き、5人の妻に5人の優秀な息子を残しました。つまり、「家父長としての社会的責任(クエスト)」を100%コンプリートしてからログアウトしているのです。だからこそ、彼は胸を張って「借金は返し終えた」と言い切れたわけですね。
2. 「老莱子」から「韓熙載」、そして本物のドロップアウトへ
ここで見事なのが、先ほど紹介した「老莱子」と「韓熙載」の故事の使い方です。
老莱子(幼児コスプレで親を笑わせる)と、韓熙載(乞食コスプレで妻妾と遊ぶ)は、どちらも「家庭内で変なコスプレをして家族を楽しませる」という共通点があります。作者はこの共通点を使って、聖人の「親孝行」から変人の「物乞いプレイ」へと、実に自然に描写をスライドさせているのです。
しかも、ここには強烈な皮肉と伏線が隠されています。
歴史上の韓熙載は、出世(宰相の地位)から逃げるために屋敷の中で「偽物の乞食」を演じましたが、結局は屋敷の外へは出ず、貴族のまま一生を終えました。
だからこそ、花根雲の養母や妻たちも、彼が屋敷で物乞いごっこを始めたとき、「ああ、昔の韓熙載みたいに、出世競争を嫌がって屋敷の中で風流なコスプレ遊びをしているだけね」と完全に油断していたのです。
ところが花根雲にとって、それは単なる金持ちの道楽ではなく、「本物の物乞いになるための予行演習」でした。故事の枠組みすら踏み台にして、本当に屋敷を飛び出してしまう展開は、当時の教養人にとって痛快なサプライズだったはずです。
3. 道教の「尸解仙(しかいせん)」への進化
物語の後半は、まさに大河ドラマです。蒸発から20年以上の歳月が流れ、残された5人の息子たちは全員が超エリート官僚へと成長します。
そして物語のクライマックス、各地に赴任した息子たちの前に、20年前と全く変わらない「少年の姿をした物乞い」が現れます。
- ある息子には、母の古い金の簪(かんざし)を投げ渡して消える。
- ある息子たちには、自分の体の垢(あか)を丸めた巨大な丸薬を渡し、それで母の病気を治させる(仙人の垢が万病に効くというのは、道教説話の定番ギミックです)。
- 故郷の妻の前には立派な儒者の姿で現れ、一緒に墓参りをした直後、突風が吹いて一本の「枯れた松の木」に変わって消え去る。
後から兄弟たちが話し合うと、安徽省、山東省、そして故郷の天台県という何百キロも離れた3つの場所に、「まったく同じ日の同じ時刻」に現れていたことが判明します。
肉体を別の物体(松の木)に置き換えて消える「尸解(しかい)」の術と、空間を超える「分身の術」。彼は文字テキスト(受験勉強)を捨てて生身の身体性を取り戻し、本物の物乞いとして生きることで、文字通り「仙人」へとクラスチェンジを果たしていたのです。
「乞食の父を持つのはいいが…」最後の一言に込められた痛烈な風刺
この物語で最もシビれるのは、松の木に変わって消える直前、空の上から花根雲が放った最後のメッセージです。
「私は生まれつきの乞食ではないが、『乞食の癖(丐癖)』があるのだ。息子たちに伝えてくれ。『乞食の父を持つのはよいが、決して乞食の子や孫を持ってはならぬぞ!』と」
これ、凄まじいブラックジョークだと思いませんか?
自分は体制や家族制度の枠組みから完全に脱出して、自由気ままな仙人ライフを満喫しているくせに、息子たちには「お前たちは絶対にドロップアウトせず、エリート官僚として真面目に働いて家を守れよ!」と命じているのです。
なぜなら、自分が何の憂いもなく「自由な物乞い」でいられるのは、残された家族が既存の社会システム(科挙と官僚制)の中でしっかり稼ぎ、家のインフラを維持してくれているからに他なりません。世俗のシステムを否定するのではなく、徹底的に利用し尽くして自分だけ解脱する。この圧倒的なしたたかさこそ、本作の最大の見どころです。
まとめ:本当に「哀れな虫けら」なのは誰か?
物語の最後で、作者の宣鼎(懊儂氏)はこんな辛辣なコメントを残しています。
「世間の金持ちや権力者は、自分の地位を神仙よりも素晴らしいと思い込み、妻子を捨てた花根雲のことを『親不孝者だ』『イカれた変人だ』と罵る。しかし仙人の目から見れば、どんな豪華な宮廷の正装も、いずれは幕が下りる一場の芝居に過ぎない。出世や名誉で自分の身を縛り、本性を毒しているエリートたちこそ、自分が『哀れな虫けら(可憐蟲)』であることにすら気づいていないのだ」
韓熙載は、宮廷という舞台から降りることができず、屋敷の中で「乞食のコスプレ」をするしかありませんでした。
しかし花根雲は、自分の役割(義務)を完璧に演じ切った瞬間、躊躇なく舞台から飛び降りて、本物の自由を手に入れました。
家族のために資産を残し、子どもを育て上げ、社会の歯車として立派に役割を果たすこと。もちろんそれは尊いことです。
しかし、その「立派な役割」という名の衣装が、自分の皮膚と癒着して脱げなくなってはいないか? 「いつかは幕が下りる芝居」だということを忘れて、舞台の上で消耗し続けてはいないか?
花根雲がタンスの奥にずっとしまい込んでいた「昔のボロ服」は、いつだってこの舞台から降りられるという「心の非常口」だったのかもしれませんね。