清朝末期に書かれた『夜雨秋灯録(やうしゅうとうろく)』の第一巻六話「龍梭三娘」を読んでいきます。
現代の漫画やアニメ、ゲームにおいて、「伝奇小説(歴史や神話の裏舞台で超常的な大活劇が繰り広げられるジャンル)」は今なお絶大な人気を誇るコンテンツですよね。歴史のうねりに翻弄されながらも、独自の才覚や異能で運命を切り開いていく主人公たちの姿には、時代を超えて人々を熱狂させる魅力があります。
お待たせしました。『夜雨秋灯録』にも本格伝奇小説が入っています。
今回紹介するお話は、壮大な歴史ロマンでありながら、終わってみれば「大きな事件が起きたのに、結局スタート地点に戻ってきただけ」という不思議な構造を持っています。山田風太郎の忍法帖*1や、落語のオチのような、独特の「さわやかな虚無感」が漂う名作です。なぜこの大活劇がそんな着地を見せるのか、物語の構造を紐解いていきましょう。
歴史の裏舞台「元末明初」というエキゾチシズム
この物語の舞台は、モンゴル人による「元王朝」が滅び、漢民族の「明王朝」が興る大動乱期です。
清代の読者にとって、この時代は一種の「ロマン溢れる失われた時代」でした。
ヒロインが中国語だけでなくモンゴル語(番繹語)を流暢に操るという設定も、この過渡期だからこそ活きてくる、当時の読者をワクワクさせた「リアルなエキゾチシズム」だったのです。
あらすじ紹介
難解な漢文で描かれる、三娘のダイナミックな大陸縦断活劇を、現代風にサクッと要約してみましょう。
- 身を隠す「亡国のお嬢様」: ヒロインの三娘は、元の高級官僚の娘。政争に巻き込まれて父を亡くし、悪徳な叔父に売られ、バカ息子に失望していた大富豪の江翁(おじいさん)のもとへ。
- おじいさんの男気と、許嫁との再会: 三娘に涙ながらに「許嫁がいる」と告白された江翁。手を付けずに彼女を「義理の娘」として保護し、貧乏な許嫁の男(葉生)を探し出して結婚させてあげる(ここまでは王道の人情話)。
- バカ息子が引いた「最悪の引き金」: ここで江翁の実の息子(江璧)が余計なことをする。金に物を言わせて科挙のゴーストライターを雇い、トップ合格(状元)を果たすも、速攻で不正がバレて死刑寸前の獄に投じられる。
- 三娘、大恩のために長城を越える: 義理の家族のピンチに、三娘の伝奇ヒロインとしての覚悟がガン決まりする。長年かけて密造した最高級の酒と、クジャクの羽で織り上げた特製の軟甲(防弾チョッキのようなもの)を携え、馬を駆って万里の長城の向こうへと旅立つ。
- 最強のオバサン(四公主)を巻き込むウルトラC: 三娘が狙いを定めたのは、現皇帝の叔母であり、無類の酒・狩り好きとして恐れられるモンゴル貴族の四公主。その懐に飛び込み、極上の酒と芸術的な防具を献上して心を掴む。
- 国家権力の私物化と、大逆転劇: 三娘から「義理の兄(バカ息子)が冤罪で捕まっている」と嘘の直訴を受けた四公主は激怒。大軍勢を伴って中国へ乗り込み、皇帝に直接圧力をかける。ビビった皇帝は即座にバカ息子を釈放・復職させ、逆にバカ息子を告発した政敵の家を籍没(財産没収)にして処刑する。
深掘り解説
この物語の圧倒的な面白さは、何と言っても後半の「三娘による国家権力の私物化」というダイナミックなウルトラCです。彼女は「いつか江翁に大恩を返す日のために」と、何年も前から密かに異国の姫好みの酒を醸造し、クジャクの羽を織り込んで「現代の特殊防具」のような軟甲を夜なべして作っていました。この怨念とも恩返しともつかない執念のクラフト能力と、モンゴルの血筋を活かしたコネ力が、一気に国家を揺るがす大活劇へと昇華するカタルシスは、まさに伝奇物の醍醐味です。
しかし、ここで注目したいのは、この超弩級の大騒動の中心にいる「バカ息子(江璧)」の存在感の軽さ、そして彼こそがこの物語の核心であるという点です。
彼は間違いなく無能で、確かに妬みから大事件の引き金を引いた存在ですが、実はそれ以外の点では「足るを知る(知足)」の境地に達していた、一種の「イワンのばか」的な純粋さを持っています。
普通の物語なら、九死に一生を得て「皇帝公認の天才状元」に返り咲き、エリート官職を手に入れたら、調子に乗って権力を貪りそうなものです。しかし彼は、ラストで三娘から「人貴知足(人間、満足を知ることが大事ですよ)」と釘を刺され、父親から「もうこれ以上調子に乗るな」と言われた瞬間、せっかく手に入れた富も名誉も、一ミリの未練もなく「即日」手放して田舎に引っ込みます。
彼には「自分を大きく見せようとするプライド」が一切ない。だからこそ、周りの天才や権力者たちが勝手に動き、勝手に悪人が自滅していく中で、ただ一人「無傷」で、最も安全な場所へと着地できたのです。
結末と考察
この物語が私たちに強烈な「さわやかな虚無感」を残す最大の理由は、「話の最後に作者の感想(教訓)が一切ない」という引き算の美学にあります。
いつもの作者による説教くさい解説ですが、この『龍梭三娘』ではカットされています。
皇帝や軍隊、モンゴル貴族まで巻き込んだ国家規模の大活劇が展開されたにもかかわらず、歴史の教科書には1ミリも影響を与えず、すべてが終わった後は「元の静かな田舎暮らし」に戻っている。バカ息子が「人間、足るを知るのが大事」と諭されて、あっさりと田園風景の中にフェードアウトしていくシーンで、物語はピタッと幕を閉じます。
大きな歴史を個人の粋なドラマのために贅沢に消費しつくした後の、このカラッとした静けさ。何もプラスになっていない(元に戻っただけ)のに、登場人物みんなが「これでよかったんだ」とニッコリしているような、この大人の諦念を含んだ読後感こそが、最高にエモい余韻の正体なのです。
まとめ
人生、常に右肩上がりの成長や成果を求められ、打席に立ち続けることを強要される現代社会。そんな中で、この『龍梭三娘』が提示する「色々あったけど、身の丈に合った場所で機嫌よく暮らせればそれが一番の勝ち組だよね」というプラマイゼロの幸福論は、私たちの疲れた心に不思議な解放感を与えてくれます。
これぞエンターテインメント、傑作です。
*1:特に主人公が生き残るタイプ