『日本文学』1953年6月号を読む
目次の紹介
『日本文学』1953年6月号
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/nihonbungaku/2/4/_contents/-char/ja
- 近代
- 中世
- 古代
- 日本文学協会1953年度大会について
- 国語教育
- 古田 拡『問題の所在』
- 野島 弘二・浅子 和代『現場教師の訴え』
- 竹内 好『文学と教育のつながり』
- 国分 一太郎『国語教師への一苦言』
- 奥田 靖雄『国語愛と国語教育』
- 谷 宏『狂言の「萩大名」(文学教室)』
- 《研究会の動き》古代・中世・近代・現代
- 荒木 繁『メーデー公判の陳述』
- 益田勝実『荒木さんを救え』
- 《書評》
- 日本文学の伝統と創造
- 国民文学論
以上は表紙の記述に基づいておりJ-STAGEのそれとは必ずしも一致しない。
旧漢字は新漢字に統一している。今回は表記揺れが激しい。現代と伝統の融合を体現しているのだろうか。
今月号はテーマとして「日本文学におけるリアリズムの伝統 新しい国語愛のために」が掲げられている。
1-3、2-2、5-3はWeb公開されていない。
また、その関係で1-2の後半(おそらく1-3と同一ページにかかる部分)が途切れている。
編集後記に日本文学協会の1953年度大会準備号とあるが、そのためかボリュームがすごい。
感想
活動報告・所信表明・問題提起といった内容が主。
課題よりも研究成果が聴きたいんだよなあと思いつつ、当時の問題意識のまとめとしては理解できる。
前号に続いて、紙上でバトルする流れができており、意見交換の場として機能し始めている様子がうかがえる。
Wikipediaで言及されている通り左翼系な雰囲気を感じるところもあるが、確かに特定の政党というよりは、単に政治色が強い主張が多いだけのようではある。
民衆の文学による社会の変革というテーマが大きくはあるんだけど、伝統は民衆のものであるだとか、いや伝統は民衆だけのものではない(貴族も伝統の一部やで)みたいな多様な意見が出ていて、伝統とはなんぞやみたいな不穏さを感じさせる。
ところで、架空の対談形式だったり、手紙形式だったり、大御所だから許されるようなふざけたやつが毎回あるんだけど、文学研究ってこういうものなんだろうか。
源氏物語のいのち
源氏物語の研究結果が浸透していないという話で、原作大改変された映画が大ヒットで許さねえという意見。わかる。
しかしそうなったのは作品の正しい評価を研究者が伝えていないからだという。
源氏物語は正直あんまり詳しくないが、たとえば枕草子は誰が誰に向けてどういう気持ちで書いたみたいな背景があるのに、学校では美しい日本の風景みたいな文脈でしか習わないよねみたいな話。
背景を元にする外的な読みと書かれたものを元にする内的な読みっていう話はもっと昔からあるので、今は折衷しながら内的な読みを中心にする方向で落ち着いているんだろう。
そういえば最近はどちらでもない新しい読み方みたいなのも出てきて訳が分からんとケンカになってるらしい。
問題の所在
国語教育の問題点がいくつか挙げられている。
この日本文学を数冊読んだだけでも教育に関するトピックは今も昔も変わらないなという印象が強い。
面白いのは、この当時から学力低下が叫ばれていたこと。
この時代の学生、もうおじいちゃんですよ。
現代の学生はどれだけ学力が低下しているんだろうか。それとも上下してるのかな。