フロンティア学院

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『日本文学』1953年5月号を読む

目次の紹介

『日本文学』1953年5月号
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/nihonbungaku/2/3/_contents/-char/ja

  1. 安永 武人『大衆と文学――実態調査からの問題――』
  2. 岩城 之徳『民衆の中へ――啄木の遺稿に示された幸徳事件の影響――』
  3. 阪下 圭八『狂言小歌覚書』
  4. 佐山 済『悲劇ということ――杉浦明平君に答える――』
  5. 森 秀男『《書評》石母田正「続歴史と民族の発見」』
  6. 研究ノート
    1. 江水 清『半日の美しさ――鷗外ノート』
  7. 水野 清『《時評》スターリンと国語教育』
  8. 今井 美郎『一ニッポン人教師の小さな叫び――朝鮮人学校から』
  9. 日文協1953年度大会テーマについて
  10. 研究会の動き
    1. 小野 牧夫

以上は表紙の記述に基づいておりJ-STAGEのそれとは必ずしも一致しない。
というか、J-STAGEの方が本文に忠実であり、表紙の目次は改変しすぎである。
3はWeb公開されていない。

感想

自分の持ち分野は中世~近世の物語だと勝手に思ってるが、今回は興味ない分野ばかりできつかった。
とはいえ無関係なんてことはないので興味の範囲を広げていこう。
創刊当時ということで偉い人が書いてるせいもあるのか、エッセイみたいなものもある。
多分完全にエッセイに振り切ってる「研究会の動き」のコーナーが自由で面白い。
「民衆の抵抗」というキーワードがあったが、そこに「伝統」というワードが混ざってきていて、作品発表当時の見方も考慮するとか、無抵抗であることがむしろ現実的であるとかいった感じで捉え方の変化が見られる。
思想が変わってきたというよりは、創刊からの内容に意見があって、バランスが取られてきたという感じだろう。

大衆と文学――実態調査からの問題――

アンケートを集めて当時の庶民像を分析するという手法が取られており、そのやりかたについて詳しく描かれている。
アンケートのやりかたは今では良い本がいくらでもあるんだけど、この頃はどういう考えでやってたの?という参考に。
気になったのは、創造側に立ちたいという結果が多かったことに対して、文学が民衆の期待に応えていないからだという読み取りをしていたところ。
仮に万人の期待を充たす文学作品が登場したとして、それを読んで満足してもう創作しませんなんてことはあるんだろうか。
絶対無いとは言わんが、そういう最強の文学を与えようみたいな発想は全体主義的ではないか。
民衆を中心にするなら、むしろ万人の期待を充たす文学など存在せず、誰もが自らの期待を充たすための創造に携わっていくことで文学全体が底上げされるような社会を打ち出した方が夢がある。
昨今のネットで誰でも作家になれる仕組みは結構それに近いところにいるよね。

悲劇ということ

前号に掲載されていた(Web公開はされていない)杉浦明平への反論となっているが、まるでブログのケンカである。よく載せたな。
主張したかったことが杉浦君に曲解されていたので、誤解を解きたいそうだ。
古典作品について、新しい見方で伝統を伝えるのはアリだが、それに囚われずにこれまでの見方自体を伝統として検討する余地があるのではないかという感じの主張。
それについて、新しい見方を受け入れないのか!みたいなことを杉浦君が書いたらしく、伝統を知ることが大事であるとは創刊号でいろんな人が言ってたやんという、そのへんを突いた反論。
ちなみに杉浦君の書いた内容はJ-STAGEで公開されていないせいで、アカウントを消して逃げた人みたいになっている。趣深い。
(もちろん実際にはその後も普通に活動している)