フロンティア学院

パブリックドメインから世界をめざす

浅野研真『聖徳太子と社會事業』を公開しました

ずいぶん更新が途絶えてしまったのでもう飽きたのかと思われるかも知れないが、飽きたのは事実の一部に過ぎない。

近頃はお金を払って本を読むかお金を払わずにパブリックドメインで無い本を読んでいたのだ。よって書く事が無かったのである。

ところで別で行っている創作活動上の必要性から聖徳太子についてちょっと調べていたのだが、丁度いい長さの本があったので文字起こしを試みた。

浅野研真『聖徳太子と社會事業』 - フロンティア学院図書館

結論から言えば特に求めている内容ではなかった。とはいえ捨て置くには勿体ないので、学び取れる事は学び取っておこう。

社会事業のはじまり

社会事業とはなんだか偉そうだがなんぞ、というと、今で言う福祉のことらしい。

社会事業とは、1920年(大正9)前後から第二次世界大戦後に社会福祉あるいは社会福祉事業という用語が一般化するまで、約30年間にわたって用いられた概念

 だそうだ*1

つまり、当時の社会情勢から流行語的に社会事業が必要だ!という風潮があって、おそらく本文にあるとおり西洋を見習え!みたいな調子があったものと思われる。

そこで本作では自国にも社会事業の実績はある、それは聖徳太子に始まるのだ!と主張する。

浅野研真について

作者の浅野研真は昭和時代前期の教育運動家、仏教学者とある。*2

著作を見る限り、仏教を現代の視点で再評価するような活動を行っていたようだ。

西洋に対するアンチという概念から時代的にそういう流行があったのか気になったが、これは資料を見つけられなかった。

新古典主義というか、樋口一葉の擬古文や、芥川龍之介の古典ネタとか、流れはありそうな気がするんだけど。

代表作など、国立国会図書館デジタルコレクションで置いてあるので、これも興味があれば誰か文字起こしをやって頂けるとありがたい。

聖徳太子について

伝説の伝える所では聖徳太子の建てた日本初の官寺である四天王寺に、施薬院悲田院といった福祉施設があったのだという。

本作ではそれを根拠に聖徳太子の素晴らしさを説いているが、ここは聖徳太子が実在しない場合を考慮すると、扶桑略記に記録された723年に興福寺に作られた悲田院が最古であるという。*3

聖徳太子の実在非実在に関わらず社会事業は古くから日本で行われていたので安心だ。

なお同扶桑略記にて、鑑真の来日時に悲田院を作った、という話が載っており、それを考えると悲田院そのものは一般的に普及していたものではないと思われるから、聖徳太子がどうであっても、興福寺悲田院を作った光明皇后への評価はもっとあってもよさそう。

薬猟については調べれば色々出てきそうだが調べていない。出典が明確なので、柳田国男の作品と同じくブックガイドとしても面白そうだ。

本学院の運営について

というわけで、まあ正直数合わせで短いものをいくつか読んできたが、分かった事は、明治~戦前までの書籍には、今で言うブログやホームページのようなものが甚だ多い。

たとえば夏目漱石の『三四郎』や尾崎紅葉の『硯友社の沿革』なんぞを読むと、学生運動や同人的な感覚で記事を書いて出版している例が見受けられる(実際、本来の意味での同人誌なわけだが)。

それより30年ほど時代は下るが、本作や前に公開した二作も1930年代の割と地位のある人達による意見書だ。

最近、ぼくが学生時代に読んでいたマンガが次々とアニメ化されるように、学生時代にやりたかったことを大人になってからやるみたいな事があったのかどうかは分からないが、このあたりの本はどうも主張が強い。もっとハッキリ言えば学びに繋がらないハズレが多い。

へーそーふーんで終わってしまう内容を書き連ねても仕方がないので既に厳選はしているのだが、今後はある程度の方向性を持たせたいとは考えている。

とはいっても、おそらくは今まで通りに興味のあるものを適当に置いていくって感じにはなるだろうけど、楽しい学院図書館を目指していくので時々は見て上げてください。

ただし学院という設定なので突然卒業することも有り得ます。