フロンティア学院

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小川未明『青い石とメダル』

今日はいつも楽しく読ませて頂いている「青空文庫を読むブログ」からお題を拝借したいと思います。

aozorabunko.hatenablog.jp

この『青い石とメダル』は、犬を助けるために主人公の勇ちゃんが色々やってメデタシメデタシという話なんですが、上記ブログにも、

一見単純に見える内容だからこそ、想像の余地が残されています。

あるように、色々な読み方をできる要素が散りばめられています。

そこで、当学院では少し悪い想像をしてみたいと思います。

大事な物は過去か未来か

勇ちゃんは犬のクロを救うためにメダルが欲しいのですが、そのメダルと引き替えに勇ちゃんの宝物である青い石を要求されます。その青い石は勇ちゃんの思い出の品であり、すなわち勇ちゃんの過去と言えるでしょう。

一方でクロの命は、これからの思い出にもなるのですから、未来であると言えます。

しかし、クロとの思い出が良いものになるかどうかは、今は分かりません。

大切だけどもう変えることのできない過去と、不確定だけどあるかもしれない未来の選択肢を示され、勇ちゃんは未来を選択します。

美しい話です。

選択したのは本当に未来か?

大切な宝物と引き替えに手に入れたメダルで、勇ちゃんはクロとの未来を手に入れます。しかし、ちょっと待ってください。本文にはこう書かれています。

そのためか、あるいは、クロがりこうで、用心深かったためか、ほかの野犬が、幾ひきも捕まえられていったのに、クロだけは、無事でありました。

このとおり「メダルのおかげ」かどうかは分からないのです。犬ころしがメダルを見て諦める、といった場面でもあれば確実と言えるのですが、そのような話はありません。

あるいは、本文でお父さんが言うように、

すべて野犬はりこうなものです。だれも、保護してくれるものがないから、自分の気を許さないのです。

りこうであるはずの「ほかの野犬」が捕まえられている点を見ると、メダルの効果と考えることができるかもしれません。

しかし、ほかの野犬は勇ちゃんに懐いていませんし、クロの保護してくれそうな人間に懐いてきたという点や、勇ちゃんのセリフ、またわざわざ地の文で強調されているところを見ても、クロが一層りこうであった可能性も考えられます。

では、クロがりこうだったならば、勇ちゃんの行動はどうでしょうか?

大切な青い石を失ってまで手に入れたメダルには全く意味がなかったばかりか、クロのりこうさを疑っていたとも言えます。完全な独りよがりの自己満足です。

クロを信じていれば青い石を失うことは無かったでしょう。

 

しかしクロを信じた結果、犬ころしに捕まってしまった場合はどうでしょう。青い石こそ手元に殘りますが、きっとメダルがあればと後悔するに違いありません。

また、メダルをつけても捕まってしまった場合はどうでしょうか。全てを失うことになりますが、やれるだけのことはやったから、と割り切れるでしょうか。

こうなると過去や未来の話と言うよりも、たとえ自己満足でも今できることをやるかどうかという話に読み取ることができそうです。

青い石は過去と言えるか?

ところで、青い石は本文中で次のように描写されています。

 勇ちゃんといっしょに、青い石は、暗い長い、トンネルを汽車で通って、知らない他国へきたのでした。そして、知らない町の空の下で、じっと太陽を見上げました。石は、ものをいいませんが、どんなに心細かったかしれません。

まるで石に心があるかのような書き方です。仮に心があったとしましょう。勇ちゃんは、この石を時々眺めては思い出に浸っていたとあります。この時間は過去などではなく、勇ちゃんと石が遊んでいた「現在」と言えるのではないでしょうか?

すると勇ちゃんは、新しい友達であるクロのために、以前からの友達である(しかも勇ちゃんによって遠方から連れてこられた)青い石を捨ててしまったことになります。

ところでクロを飼いたいという勇ちゃんに対して、お母さんはこう言います。

いつかも、おまえがそういって、小鳥を飼ったことがあるが、その世話は、みんなお母さんがしなければならなかったじゃありませんか?

そう、勇ちゃんはこれまでにも、新しい友達を手に入れては、それを見捨てることを繰り返しているのです。

釣った魚に餌をやらないという話とも違う気はしますが、野犬であればこそ、勇ちゃんとクロの関係は成立していたとも考えられます。

子供にはありがちな話ではありますが、小鳥や青い石のようにクロが扱われないと言い切れるでしょうか。

誰を助けることが愛情か

そもそも勇ちゃんはクロ以外に見向きもしておらず「ほかの野犬」が捕まろうが気にしていません。

これは子供である勇ちゃんにどうしろと言うのではなく、これがもし自分であっても目の前の一番大切な人や物を優先するでしょうから、至って当然のことだと思います。

しかし、世の中ではむしろ「かわいそうな野犬を救おう」と言ったような活動が多く見受けられます。可哀想などこかの沢山の助けられるべき存在を助けようというのです。

その試み自体については悪いとは思いませんし、どこか知らない遠い場所の可哀想な人達も確かにいるのでしょうが、それよりも目の前の人達に眼を向けてみる、あるいは、その遠い人達が「目の前の人々」になるように力を注ぐ、ただ闇雲に救助を訴えるだけでなく、そうした活動を行ってこそ「支援」と呼べるのではないでしょうか。

勇ちゃんは確かに「ほかの野犬」には無関心でしたが、目の前の命を守るために全力を尽くしました。その勇ちゃんに対して野犬保護を説いても意味がありません。勇ちゃんとクロのような関係をいかに作るか、それが支援団体に対して問われているのではないでしょうか?

前段までの読み方があまりにも悪質だったので、綺麗にまとまるようにしてみましたが、特に他意はありません。なお、この物語にクロちゃんは登場しません。