フロンティア学院

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『觀相人物評論』を公開しました

フロンティア学院図書館に蔵書が増えました。

石龍子『觀相人物評論』 - フロンティア学院図書館

 先に書いておくと、画像の入ったepubを作成するテストと、当時の人物評みたいなのが見られたら面白いなーと思って選んだので、特にこの本および、作者周囲に関しての思い入れ等はありません。よって、どこまで深入りして良い物か、悩むところではあるのですが……。

 

作者について

石龍子氏は、代々続く「観相学者」の家系で、その名も歌舞伎役者の如く代々襲名されていたようです。こちらの「石龍子と相学提要」が詳しい。

http://jsmh.umin.jp/journal/55-3/index.html

観相学は「占いではなく医学」であるとされたというが、実際病んでる人は顔に出たりとか、嫌な奴は大体嫌な顔をしているとかという実感はあるので、樹木の年輪がそうであるように、行いの結果が姿形に現れてきて、その先の未来も大体統計的に予測できる、というのは分からないでもない。のでこの学問自体には特に何の異論も無い。

で、この家系の五代目の人が一大ブームを起こしたとあるが、このあたり雑な調査しかしていないのでよく分からない。細木数子みたいなポジションだったのだろうかと勝手に想像しているのだが、とりあえずこの時期、人相見と言えば石龍子! みたいな存在ではあったようだ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/card1210.html

※ただしこの冒頭に出てくる石龍子は四代を指している。

それでその養子である六代目が本テキストの作者。

出版ブームのようなものがあったのかもしれないが、この六代目がやたらと本を出しており、内容は今回公開したものを御覧の通りである。

 

内容について

ちょうどこの頃、玄龍子という一派が現れたらしく、彼らにより人相学の体系化が図られたとされている。

http://souryuanzuisou.blog.fc2.com/blog-entry-138.html

このあたりに危機感を覚えたのかどうか分からないが、この六代目はいかにも世俗的な本を多く出しており、国立国会デジタルコレクションで玄龍子と石龍子を検索すると明らかに方向性の異なる事が分かる。

そんな中、おそらくは彼の最後の著作にあたると思われるのが本書である。

 

内容については特に何も無い。ただ、読み取れるのは、これが当時の政府関係者のカタログになっているのと、なんともお粗末な提灯記事だということである。

これが上からの要請だったのか、単なる人気取りだったのかは分からない。他の著作から傾向を掴めば分かるかも知れないが、その研究は皆さんの手に委ねようと思う。

本書で挙げられた人物では、例えば小林一三などは恥ずかしながら自分は先日のドラマで見るまで知らなかったのだが、こういった人達が当時話題に上っていた、あるいは上げたがっていたであろうと考えることができる。彼らに関する資料は豊富であるため、結局鑑定が当たったのか当たってないのかも一目瞭然である。(最後の人以外)

ただし彼らの紹介という意味では、当人を知っているという前提で割と分かりきった鑑定結果だけが延々と述べられており、その文章もまるでプログラムで自動出力したかのような残念なもので、得られるものがあるかというと、特にない。

とにかく立派な人達が立派であるという事しか書かれていないのだ。しかも後半に行くほど段々文体も崩れて投げ遣りにさえなっている。

強いて言えば「観相学」の実践例としては良くも悪くも有用であるのかもしれない。

 

なぜこの本を公開するのか

ここまで書いたとおり、私は別に本書に思い入れが有るわけでもなく、内容を肯定的に捉えているわけでもありません。たまたまそこにあり、公開と相成っただけのものです。

しかし、こうした本こそ本来は残されていくべきものだとは考えています。

それは残念な本が昔も今も変わらずあるという事実だけでなく、そうした本が出版された社会背景も踏まえて価値があると考えているからです。「名作」を保存しようと考えたとき、この本が挙がる事は残念ながらまずあり得ないでしょう。だが、そうして綺麗なものばかり残していく事が文化などでは決してないのです。

当学院では、微妙な本の保存についても積極的に取り組み、また、その作品の背景となる文化についても雑な調査で分かる限り共有していきたいし、それを調べるキッカケにでもなればと考えています。

そして、このような扱いをしてしまいましたが、関係者の方々は怒らないで頂きたい。むしろ建設的なコメントがあれば、是非お寄せ頂ければ幸いです。